飲んでいるとか、名刺交換をしてはじめて話す方とか、よく聞かれるのは、どんなジャンルの写真を撮られるんですか?という質問です。一番それが多いかな?よほど有名じゃない限りきっと他のカメラマンもそうなんじゃなかってと思う。(カメラマンで有名といっても日本じゃ知れてるよね、正直。でもそれが難しい。)
それで、いつもどう答えているかというと、何でも撮っています!って答えるんです。ただね、この何でもっていうのは、相手からしたら正解の答えじゃないんですよね。嘘でも人を撮っています!とか料理を専門で撮っています!の方がコミュニケーションとして成立しやすいし、相手がイメージし易いから。
だから、そのあとすぐに加えて言うんです。
何でも撮るのはプロとして仕事しているカメラマンだからですよ。
僕はカメラさえあればなんにでもなれる!なりたい自分になれるんです。ってね。
どんなジャンルを撮ろうが僕より上手い人なんていっぱいいる。でも僕の写真が撮れる人は僕だけだとも思っている。 間違いなく上手い人は沢山います。
カメラ開発研究者もそうですよね。というかそうじゃないとカメラメーカーで開発研究している人たちの立場だって成立しないでしょ。プロから素人までベースなものを作り且つ、多くのユーザーから扱いやすいカメラを提供するのに研究開発しているんですから。 僕はそんな彼らが開発し、世に出たカメラを使って自分らしく写真を撮らせてもらっているカメラマンなんです。
では開発研究で作られたベースの写真と何がどう違うのか?っていうことだよね。
それは人らしさ。導きだと思います。
僕が他のカメラマンと撮影のスタイルで違うのは、自分が相手になっていること。
それはよくカメラマンが被写体の相手に身振り手振りでポーズを伝えますが、僕がいう相手になるというのはそれと異なります。
僕はファインダー越しで頭の中で被写体になっているんです。
女性を撮るとき、その女性になっています。
男性を撮るとき、その男性になっています。
動物や植物、昆虫を撮るとき、経験と過去にみてきたアニメや漫画、野生の世界をテーマにしたドキュメンタリーや図鑑がベースにあってその生物になっています。
料理や不動産は、実体験なんて知れているから映画とか雑誌で憧れた住居や食べ物をイメージし、更に自分がオーナーで住みたい!自分が贅沢に食べたい!を撮っています。
僕の写真は喜怒哀楽じゃないけど、人間だから色んな顔があるんです。
ただの木の根っこでもそこには彼らの呼吸があって語りかけてくるから僕は彼らになるんです。開発研究者の技術を使って彼らの囁を僕が演じて撮っている。なりたい自分でいるだけなんです。
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